5/22-24

5月24日の水曜日、らんこさんは虹の橋を渡っていかれました。

日曜は夕方に缶詰をほんの少し食べただけで、後はまた舌をべろべろさせていました。
好物のえびを茹でてほぐし身を出したりしましたが興味を示さず。

月曜の朝は食欲がないものの、まだいつもとそれほど変わらないように見えました。
が、会社から帰ってきたら一気に悪くなっているように感じました。
ずっと暗がりにいたがり、人に触られるのを嫌がるようになりました。
御飯を見せても顔を背けますし、そっと鼻先につけてみても舐めはするものの嫌そうに見えます。
水だけは自力で飲みに来るのですが、もう足元もおぼつかなくなってきていました。
ガーガー言うのは収まったものの鼻水が両方から出ていて、しょっちゅう舌をべろべろさせていました。
舌が白く、どうも貧血を起こしているようでした。
正直いよいよお別れのときがそこまで来ていると思いました。

食欲が減退してからというものの、強制給餌も考えなかったわけではありません。
もう駄目だっていう状態でも強制給餌を続けて嘘のように復活したという話も聞きます。
無理矢理御飯を食べさせるのではなく、食べづらいのをサポートするのだと考えればいいのだとも思いました。
でも、今までの状態からいって例えば一旦復活したとしても、また息が苦しくなって食欲がなくなって・・・を繰り返す生活が待っているだけなんじゃないか。
それならば無理に食事を取らせて頑張らせるよりも、残りを少しでも楽に過ごせる方法を探したほうがいいんじゃないか。
らんこさんはもう充分に頑張ってくれたし、彼女が頑張りたくないと言っているものを無理に頑張らせるのはもう止めようと思いました。
家族も「もうこれ以上頑張らせてやるな」と言っていました。

火曜になっても食欲はないままです。この日はたまたま父が休みで終日家にいたので昼に様子を電話で聞いたりもしたのですが、やはり水ばかりのんで後はじっとしているという事でした。
私が帰宅してからもテーブルの下と水飲み場を行き来するだけでした。
いよいよ水を飲むのも苦労しているようだったので、下に低い台を用意して水を器になみなみと注ぎ、少しでも飲みやすくしました。
トイレも自力で行こうとするので、カバーを外してまたぎやすくしました。
御飯も一応缶詰をすりこぎですってお湯でスープ状に伸ばしたものを用意してみたのですが、興味は少し示すものの全く口をつけずでした。
鼻の状態は月曜と同じような状態でした。
少しなでたりもしましたが、昨日と違い嫌がるような感じはなくなでられるのにまかせていました。
これ以上の積極的な治療をする気はなかったのですが、水を飲むのも苦労するくらいしんどいなら、点滴だけでもしてもらって楽になって欲しいと思い、病院に明日の往診のお願いをしました。

そして水曜の朝。
起きてテーブルの下を覗いたら、そこにらんこさんがいたので「おはよう」と言いながら頭をなでました。
もう冷たく固くなっていました。慌てて家族を呼んでテーブルの下から出して散々泣きながら声を掛けました。
右前足・後足を投げ出すようにして、眠るような穏やかな顔でした。
少しおもらししたような跡がありましたが、後でトイレを見たらそちらにもおしっこをした跡がありました。
母によると、夜中の1時ごろにスースーいう音が聞こえてきていたらしいので、それまでは生きていたんだろうと思います。

全身を綺麗に拭いて、新しいタオルの上に寝かせました。
ペットの葬儀屋さんを探して、お昼に来てもらうようにお願いし、それまではずっと体を撫でたり抱っこしたりしてました。
病院に電話をし、担当の先生に亡くなったこととお世話になった旨を伝えました。先生も「良く頑張りましたね」とらんこさんをほめてくれていました。その後病院からお花が贈られてきました。

葬儀屋さんに引き渡すのはもっと後でもいいくらいだったかもしれませんが、長く留めておけばおくほど手放せなくなりそうだったのでお昼にしました。
頂いたお花と、らんこさんの好きだった茹でえびとさわらの焼いたのをそれぞれほぐし、新聞紙に包んでお弁当に持たせました。
個別火葬された後、金曜に帰ってきます。

午後からは納骨するお寺の候補のうちの一つを父と下見に行きました。
合同慰霊碑みたいなのがあって、そこに収められるみたいでした。
静かだし綺麗だしいいかもな、と思いました。
日曜にももう一つのお寺を見に行く予定です。
でも、骨はずっと家においている人も結構いらっしゃるようだし、らんこさんに念仏唱えても「なにいうとんねん」って思うだけかなとか思うと、別に家でもいいかもとも思ったり。
もうちょっと考えます。

らんこさんは最後まで本当に良く頑張ったと思います。
お薬飲むのも病院に行くのもほんと頑張った。
トイレも最後まで自力で行ってえらかった。しんどいならおもらしでも全然よかったのにね。
最後の方は息苦しくて御飯もほとんど食べられなくて可哀想だったけれども、それでも死の直前まで自分で御飯をおいしく食べて、高い所に登ったりも出来ていたのは良かったかな。
いよいよ悪くなってからはあっという間だったけれども、しんどいのが長く続くのも可哀想だし、これでよかったのかな。

後悔することなんていっぱいあるけれども、一つだけ言うならどうして最後起きておかなかったんだろう。
起きてたって最期に立ち会えるとは限らないんだけれども、なんでひとりでそんなひっそりとって思ってしまう。
それがもう、本当に本当に残念です。

コメントやご自分のブログでお祈りくださった皆様、ありがとうございました。
残念な事にらんこさんは旅立たれてしまいましたが、皆様に出会えてよかったです。
これからも皆様の猫様が少しでも長く穏やかに過ごされますようお祈りいたしますし、もうちょっと落ち着いたらまたお伺いします。


らんこさんへ。
うちに来て13年と2ヶ月、本当にありがとう。
最期まで良く頑張ってえらかったよ。
私達家族全員、らんこさんがいて本当に幸せでした。らんこさんは幸せだったかな?
今もこの文章を書きながらびーびー泣いてるねーちゃんですが、らんこさんがうちの子でよかったと思っています。
寂しくてしょうがないけれども、ねーちゃんたちは頑張りますので、よかったらまた毛皮着替えて帰ってきてください。

5/22-24へのコメント

ここ数日、ずっと、ずっと気にかかっていました。残念です;;;
らんちゃん、ほんとに最後までよく頑張りましたね。すごく、偉かった。ほんとに、ほんとに、いい子でしたね。どうか、虹の橋の向こうで、安らかに。。。
お骨は、私の実家や友人宅でも自宅に置いています。もちろん、人それぞれとは思いますが、13年も一緒に過ごしたのですから、合同慰霊碑に埋葬されてしまうと、もうらんちゃんのお骨だけと向き合うことはできなくなってしまうので、もし事情が許すのであればしばらく、例えば49日とか、ご自宅に置かれてもよいのではないでしょうか。気持ちが落ち着いてから、それからどうするか、考えても遅くないと思います。余計なお世話だったらごめんなさい。
最期に立ち会えなかったのは心残りかもしれません。でも、らんちゃんは祥さんに心から愛されていたことをよくわかっていたと思いますよ。最期に苦しむ時間を少しでも短くと努めてあげたことも、きっと感謝していると思います。だから、安らかに眠れたんですよね。
らんちゃんのご冥福を、西に向かってお祈りします。祥さん、本当に、お疲れさまでした。くれぐれもお身体壊しませんように。。。

投稿者 sami : 2006年05月25日 23:04


らんこさん、祥さんとご家族の優しさに包まれながら
本当に本当に頑張りましたね。
強くて、優しくて、本当に本当に、偉いです。
今は楽しいことばかりの国で、美味しいお弁当を
食べて、のんびりお過ごしですよね。
ゆっくり休んだら、また祥さんのところに
帰ってきて下さいね。

祥さん、本当に何て言ったらいいのか…。
言葉か出てこなくて、涙ばっかり出てきます。
ゆっくりゆっくり休んで、お体ご自愛下さい。

投稿者 麦芽 : 2006年05月26日 00:58


らんちゃん、本当に本当によくがんばったね。
ふわふわの国で、先に行ってるうちのジミヘンと仲良くしてあげてね。

らんちゃんのこと、絶対忘れません。
目の前がまっくらになっていたとき、ネットの世界で偶然出会って、勇気をくれたらんちゃん。
ちょっとお休みして、また新しい毛皮に着替えて
また祥さんのところにきっと戻ってきてね。

そして祥さん、ご家族のみなさん、困難な中、前向きにらんちゃんの病気と向き合ってこられたことを心から尊敬しています。
最期に立ち会えなかったこと、どうか後悔なさらないでください。
本当に、お疲れ様でした。今はゆっくり休んでくださいとしか言えません。
そして、らんちゃんのご冥福を心からお祈りしています。

らんちゃん、勇気をくれてありがとう。
らんちゃんのがんばり、絶対に忘れない。

投稿者 まー : 2006年05月26日 01:41


らんこさん頑張ったね。
本当に頑張って、愛されて…。
どうもありがとう!

らんこさん虹の橋でとのと仲良くしてね。
多分背中に豆大福背負ってると思う。
5年前の同じ日だったんだ。

祥さん、家族の皆さんらんこさんという名の愛された子がいたこと覚えてますから。
今はぽっかりと心に空きが出来ていると思いますが、らんこさんのためにもお体は大切になさって下さい。

本当にありがとう!

投稿者 とのひめ : 2006年05月27日 08:06


まずは皆様、らんこさんへのねぎらいの言葉と、家族への暖かい励ましの言葉をありがとうございました。
皆様の優しいお言葉でまたちょっと泣けたりしますが、とても嬉しかったです。

らんこさんは本当によく頑張ってくれたなあとつくづく感心します。
その頑張りが皆様に少しでも伝わった事が私も嬉しいです。

家族は基本的に元気にしています。御飯もちゃんと食べてますし寝てもいますよー。
まだまだ気持ちの方は落ち着かないですが、こればかりは時間を掛けないと駄目なところなので・・・。


>samiさん
私も調べたのですが、結構お骨を手元に置かれている方って多いみたいですね。
私は宗教活動には全く熱心でないので置いていてもいいかなと思うのですが、母はどうもお寺に収めるべきと思っているようで、なかなか意見の統一をみないです。
とりあえず四十九日までは手元に置こうかなと思っています。
お気遣いありがとうございました!


>麦芽さん
お弁当、気に入ってくれたならいいのですが。
最後の1年が大変だった分のんびりして、また戻ってきてくれたらなと思います。たまらさんとも仲良くしてくれたらいいな。
両親は「猫はらんこさん一代限り」と力説していますが、帰ってくる時はどんな事があっても帰ってきそうな気がしますので、運を天に任せようと思います。


>まーさん
今頃はジミヘンちゃんとも仲良く遊んでいるのでしょうか。
らんこさんの事に関して前向きに頑張ってこられたのは、家族が私の好きにさせてくれたという部分もありますが、やはりまーさんを始め色々な方の頑張りを見せていただいたり、交流できた事が大きな力となっていました。
まーさんとボブちゃんに出会えて、私も勇気を頂きました。ありがとうございました。

それとブログで「らんちゃんがんばれ!」のお言葉をみてとても嬉しかったです。感動してちょっと涙出ました。
後でよくよく考えたらよく似た名前のにゃんこ様とお暮らしの方がいらしたなあと思ったのですが、見た瞬間はらんこさんへのエールだ! と思ったのでそのように受け取らせて頂きます。うへへ。


>とのひめさん
とのさんとも仲良くしていただけるのですね。おお、猫生の先輩がいつの間にか沢山できていて良かったねえ、らんこさんや。
同じ日に旅立ったというのも不思議な縁ですね。

まだまだ喪失感は大きくて辛いものがありますが、いつかなにもかもが良い思い出に変わるよう、気持ちの整理をしてこれからの人生を歩んで行きたいと思います。

投稿者 祥 : 2006年05月28日 22:27


昨晩知り、頭の中が真っ白になってしまい、
今日一日らんちゃんのことが頭から離れず、涙が・・・。ずっとぼんやりしてました。
なんで、、どうして、、とそんな事ばかり。
でもでも、祥さんとらんちゃんはせいいっぱいがんばってがんばってがんばりぶりがここを見てきてわかるから、、、、あ、、なんか言葉に上手くできなくてすいません。
最後までおトイレを自分で行ったとのこと。らんちゃんほんとにすごい子ですね。らんちゃんさすがです。
いろんな写真を思いだしてました。
寒い日、ストーブから遠ざかったり近付いたりしてる温度調節してるらんちゃん。祥さんがパソコンにむかっている時に、モニタと腕のあいだでごろんとしてるらんちゃん。ほんとさみしい。残念です。らんちゃんが虹の橋へ。
でも祥さんの方がもっとお辛いですよね。すいません。なんかわたし、勝手に。
なにか言葉を。と思ってたのですが、
祥さんのコメントを見て、私なんかが。と今日思いました。祥さんもらんちゃんと同じくすごい方です。
ただここにもらんちゃんのこと応援していた人間がいたという事を、お伝えしたいです。

らんちゃんあたらしい服着替えて帰ってきてね。

それと祥さん、らんちゃんとの時間、貴重な日記を綴ってこられることにより、それを目にすることができました。ほんとうにありがとうございました。


投稿者 まろん : 2006年05月28日 23:48


>まろんさん
まろんさんも一緒にらんこさんの死を悼んでくださってありがとうございます。
私なんかがなんておっしゃらないでください。らんこさんの頑張りを見守ってくださり、また応援してくださって本当に嬉しかったです。
私の頑張りはらんこさんに較べたら大した事はないのでしょうが、一緒に走ってきたその足跡がこうやって少しでも残せてよかったです。

現像してきた写真を毎日のように眺めていると、色々な事が思い出されます。
寂しくもあり、懐かしくもあり。
まだまだちょっとした事で泣けてきますが、ゆっくりとでも落ち着けたらなと思っています。

投稿者 祥 : 2006年05月30日 22:22


コメントがあればどうぞ

保存しますか?